地 学 雑 記(6)
粘土質資源とのかかわり(その二)
■まえがき−天然ゼオライト(資源)
■天然ゼオライトと合成ゼオライトの歩み
■ゼオライト学会の動向
本 多 朔 郎※
天然ゼオライトと合成ゼオライトの歩み

 ゼオライトは1756年スェーデンの鉱物学者Cronstedtによって命名された鉱物である。鉱物の分類ではグループ名で、属する種類は非常に多く、近年発見された新種を加えると45種以上に及ぶ。結晶水を失っても結晶構造の骨格がこわれないことや、多くのチャンネルに位置するイオンが他と交換するイオン交換作用や吸着作用など一般の鉱物にはみられない特異な性質をもつことがその後知られた。

 この特性に着目して研究をはじめたのは化学者で1925年から1930年代にかけてである。

 火山岩類の空隙に産する純粋な結晶を集めて実験を行った。実験結果には刮目すべきものがあったが天然物では量の制限があって工業化は問題にならなかったので化学者はゼオライトの合成を志向し、1950年代以降みごとに成功を収め、次第に合成ゼオライト工業という分野を開拓していった。

 現在では、200種以上の合成ゼオライトが製造され、洗剤用ビルダーを筆頭に、吸着剤、触媒など化学工業資材として多方面に応用される重要なものとなった。すなわち、当初は分子ふるい(モレキュラーシーブ)として吸着剤に用いられたが、1960年代に入ると合成ゼオライトが在来のシリカ・アルミナ触媒の性能を凌駕するすぐれたものであることが判明し、石油化学工業はじめ多くの分野で触媒として活用されるようになった。

 一方、天然には純粋なゼオライトだけの集合体の存在は期待されなかったし、現在でも発見されていない。

 ところが、ある種の岩石の中に、ゼオライトが濃集している事例が1950年頃わが国で判明した。須藤俊男の慧眼による秋田県横手市近郊の白土や栃木県の大谷石の研究がそれである。

 横手市近郊に肥効をもつ白土が産出し、1943年頃すでに採掘利用されていたらしい。この肥効の原因究明を依頼された須藤は白土中に多量のゼオライトが存在することを明らかにし、これが肥効の源であると結論づけた。須藤らはまた栃木県の大谷石にもゼオライトがかなり多量に含まれていることを突きとめ横手市の白土の研究結果とともに1949年から1950年にかけて学界に発表した。

 国外では1930年代にすでにゼオライトを含む凝灰岩や塩湖堆積物の存在は二、三発表されていたが資源の観点からは研究対象にはなっていなかった。

 したがって、須藤の横手市近郊の白土の研究が資源としての天然ゼオライトの最初の研究といえる。

 筆者は秋田に赴任後、かねて耳にしていた横手の白土の調査を計画していたが実現したのは1957年である。当時横手市東方の滝ノ沢沿いの朝倉地区と平鹿郡大森町八沢木で含ゼオライト白土を採掘していた。ところで、須藤の報文には横手地域の関連では朝倉と諸子沢の地名はあるが場所は明示されていなかった。筆者は横手市在住の熊谷富治氏(故人)の案内により諸子沢を調査、そこでゼオライト岩の産出を知ることができた。これが筆者と天然ゼオライトとのかかわりのはじまりであって、この間の経緯はすでに報告した。

 須藤の研究報告に触発されて天然ゼオライトが育苗培土、農業土壌改良剤、畜産用などに資源として利用できることが判明してからわが国で同類の天然ゼオライト資源の発見が相次ぎ、現在では北海道から九州南部まで全国各地に産出し、とくに日本海側のいわゆるグリン・タフ地域には広く分布することが知られている。発見についで利用も徐々に活発になった。

 国外でも日本における天然ゼオライトの利用の実情に刺激されてその発見探査がはじまり、その結果多くの国でそれぞれ多数の産地が見つけられた。米国、チェコスロバキア、ブルガリア、キューバ、ユーゴスラビア、イタリー、韓国、中国などで、近年はインドネシア、アルゼンチン、チリーにおよび、国際会議 「ゼオライト'93」でも数ヶ所から新産地が報告されたらしい。このように天然ゼオライトは地球上に広く存在する資源であることが明らかにされつつあるが、わが国での発見が1950年頃であるのと、分子ふるいゼオライトが工業化されたのが1954年といわれ、両者ほほ同時期であるのは偶然ながら興味深い。


※秋田大学名誉教授  財団法人秋田大学高山学部鉱業博物館講演会幹事
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